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常照山 日體寺(日体寺)京都清水坂
〒605−0862 京都市東山区清水四丁目151
TEL:075−561−1248(9:00〜17:30)
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HOME > 一言法話 > 施餓鬼 |
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施餓鬼(せがき)の巻 |
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お盆には、お寺でご先祖様への供養の盂蘭盆会(うらぼんえ)に併せて施餓鬼法要が執り行われます。
施餓鬼はお盆に限ったものではありませんが、多くはお盆の時期にご供養をされています。
施餓鬼は、お施餓鬼や施餓鬼会(せがきえ)、施餓鬼供養とも呼ばれ、弔う人もおらず、餓鬼道(がきどう)に落ちて飢えに苦しむ者や、未だ成仏できない霊に、飯食(おんじき)と言って食べ物や飲み物などの供物を供えて供養し、その施しの功徳によって餓鬼の苦しみから救う法要のことです。
餓鬼の世界とは、常に飢えと渇きに苦しんでいる亡者の世界であり、この世において生きている時に強欲で、自分だけが得をすることばかりを考えて、貪りの心に支配された人が、死後に生まれ変わる世界のことです。
欲望というものは誰にでもあるもので、全てが悪いという訳ではありませんが、度が過ぎるのはいけません。必要以上に欲するのではなく、分かち合いや助け合いという心を持つことが大切なのです。
昔話に、地獄と極楽の長い箸というお話があります。地獄では長さ三尺三寸(約1メートル)もある長い箸を使って食事をします。
その箸で我れ先にと食べ物をとって自分の口に運ぼうとするのですが、どうしても食べることができません。
次第に他の人の食べ物を奪ったり、争いが起こって結局一口も食べることができなかったのです。
同じように極楽でも、長い箸を使いますが、向かい側の人と食べさせ合うことで、お互いがお腹いっぱいになるまで食事を美味しく頂いていました。
どちらが幸せなのかは言うまでもありません。
法華経に示されていることは、利己主義で自分だけが迷いを離れて救いを求めるような貧しい心を持つのではなく、大慈悲心を持って功徳を積む行いに努め、煩悩のけがれを綺麗に洗い流し、全ての者の心を豊かにすることです。
他者への思いやりを無くして、自身の幸せはありません。これは生きている人にも亡くなられた人に対しても同じことが言えます。
自らが進んで施餓鬼の供養を施し、日々の生活の中でも、助け合いの精神を養っていきましょう。 |
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