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不惜身命
勝守り
仏縁
受け止め方
業
心の荷物
諸行無常
助け合いの精神
心磨きの行
煩悩即菩提
因果応報
臨終を習う
不器用
いい人
無上道
菩提心
矢のはしることは弓の力
人の縁なくして人生なし
智目行足
少欲知足
苦を乗り越え仏になる
普通でいること
幸せになるには
我を捨てよ
桜の花のように
バランス
心を満たす言霊
仏心は親心
出会いの力
人生への投資
物事の見方
心の洗濯
エゴイズム
できること
共にある幸せ
心に刻むこと
生きる力
因縁
口は災いのもと
仏様のまばたき
ありがとう
十人十色
WIN WIN
長所と短所
オンリーワン
損して得とれ
それぞれの道
中道
信行
報恩感謝
いただいた命
菩薩行
感応道交
地獄と仏界
仏知見
方便
異体同心
おかげさま
無明と光明
良心
増上慢
平等大慧
精進
一期一会
一心合掌
信仰心
六根清浄
苦と楽
善行の徳
安楽行
心
煩悩
感謝
宝
袖触れ合うも他生の縁
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常照山 日體寺(日体寺)京都清水坂
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HOME一言法話 > 正座から学ぶ
掛け軸
四諦八正道の巻

正座から学ぶの巻

皆さんは普段正座をして座ることがありますか?

最近はどこでも椅子があり、多くの方は家でもソファーに腰掛けるなど、正座をして座るという機会が少なくなったように思います。
正座をするのは武道や茶道などをされている方や、お坊さんくらいかもしれません。

お寺の修行において、必須とも言える正座ですが、これがなかなか辛いことのひとつです。
お勤めでお経を読む時は当然正座なので、時間が経つにつれて足がしびれて痛くなります。
それでもグッと我慢してお勤めをします。

よく、お檀家さんに「長い時間正座をしていて足が痛くならないのですか?」と聞かれます。
「私も皆さんと同じように足がしびれますし痛いのですが、その痛みに慣れているだけなんです。」と答えます。

「なるほど」と理解されますが、この正座をするということは、礼儀作法や精神修行という意味の他にも、考えさせられるところがございます。

正座を自分の人生に例えると、受ける痛みは生きることの中での様々な苦難の出来事を表します。
その痛みをやわらげるために、時々足を動かしてしびれを取ります。

これは楽を得るために自分が問題の解決策を模索している様子なのです。
正座は痛くて当たり前なので、辛いことが自身に起こることもあるということを自覚しなくてはいけないのです。

そして、その苦難をどう乗り越えていくかを考え、最善の努力と判断をすることが自分のできる事であります。
我慢をして耐えるのか、時には足を崩して痛みをとるのかを選んで下さい。

足を崩すということは逃げるわけではなくて、一旦離れると言った方がいいでしょう。
痛みがやわらいだ時点でまた正座に戻ればいいわけです。

先ほども申しましたが、正座の痛みは慣れることができます。
苦難というのも捉え方や考え方によって、小さくすることができるということです。

さらに欲や妬みなどが多い人は、重しを抱えて座っているようなものです。
それが自分にのしかかってきて、痛みが増してしまうだけなので、苦しみの元になるような余計なものは、抱え続けるのをやめておろしていきましょう。

心静かに正座ができるようになるまでには、長い道のりかもしれませんが、共に人生という修行に励んで参りましょう。

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