|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
常照山 日體寺(日体寺)京都清水坂
〒605−0862 京都市東山区清水四丁目151
TEL:075−561−1248(9:00〜17:30)
info@nittaiji.com |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
HOME > 一言法話 > 気付くこと |
|
|
|
|
|
気付くことの巻 |
|
人は自分の都合がいいように物事を考え、自身の行動もそれに基づいています。
そして、信念を持って行っていることが正しいか間違いかは別にして、自我の範囲内であり、そもそも人は自己中心的な考えでいるのです。
そんな身勝手なと思われるかもしれませんが、案外そういうものなのでしょう。
この世の中では、私達に毎日多くの事が起こります。
楽しい事ばかりではなく、嫌なことや辛いこともあるでしょう。
良いことばかりの人生を送ることは難しいのかもしれません。
しかし、自分にとって、良いことも辛いことも、全てが人生の一部であり、その様々な出来事があってこそ、今の自分が存在しています。
ここに大切な意味が隠されているのです。
日蓮聖人は、「まずは臨終のことを習うて後に他事を習うべし」と教えておられます。
人はいつか死を迎える。
そのことを視つめることによって、生きていることの意味と有難さがわかるということです。
人生の苦楽は、今を生かされているという感謝の次に考えることです。
生きることの意味に気付くことで、私達の周りに起こる出来事を通じて、切磋琢磨して学んでいるということが理解できるでしょう。
時には後悔することもあると思いますが、やり直せないことはありません。
自分勝手な心を無くせば、苦よりも楽が大きくなっていくのです。
人生を無駄にしないように、そして楽しい事が多く起こるように、大切なことに気付く心を養っていきましょう。 |
|
|
|
|