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常照山 日體寺(日体寺)京都清水坂
〒605−0862 京都市東山区清水四丁目151
TEL:075−561−1248(9:00〜17:30)
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HOME > 一言法話 > 我慢偏執 |
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我慢偏執(がまんへんしゅう)の巻 |
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我慢偏執とは、自身のことは高く評価して、他の者を軽くみて、人の意見には耳を貸さず、受け入れないという自己中心的なことを意味します。
我とは、我欲、自分さえ良ければいいというような、むさぼりの心。
慢とは、慢心、自分だけが正しいというような、おごりの心。
偏とは、偏見、自分よがりで判断するような、かたよりの心。
執とは、執着、自分の意見を主張して譲らない、とらわれの心。
人はまず、自分の考え方、見方は正しいと思い込んでいます。
そして誰もが他人に意見されたりすることを嫌い、ましてや間違いだと指摘されたり、注意を受けたりすれば、もっと反発の気持ちは強くなっていきます。
私達は、誰もが今まで見てきたことや、教えられた知識の中で判断しています。
それが自分の基準となっていますが、そこに大きな落とし穴があります。
人の意見に耳を傾けないということは、結果的に自分が損をしてしまうことにもなりかねません。
仏様は、このような心の曇りを晴らすようにつとめなさいと教えられています。
我慢偏執の心、つまり我欲、慢心、偏見、執着の心を抑えて、何事にも自分から耳を傾けていくことが大切であるということです。
そうすれば、どんよりと曇った心が、すっきりと晴れやかになっていくでしょう。
様々な自分に降りかかる苦しみは、もしかすると自分の心が生みだしているのかもしれません。
この我慢偏執の心をなくすように努力していけば、次第に苦しみも無くなっていくことでしょう。 |
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